
が乾燥して冷たく、世界の同緯度に比べれば寒冷といえます。夜間などは稀に零下数度になることもありますが、降雪はあまりありません。今年の冬は一二度あっただけで、それもその日のうちに融けてしまいました。 (3) 上海という地名の起源については、黄浦江(長江の支流)に注いでいた二つのクリーク、上海浦、下海浦の前者に由来すると言われており、また、上海は略称“滬”(こ)或いは“申”(しん)と呼ばれ、市の中心部を流れる蘇州河の下流が古い時代に滬涜(ことく)(滬とは竹で作った漁具(あじろ)を指し、涜とは水が海に流れ込むという意味)と呼ばれていたことに由来すると言われています。また、戦国時代楚の宰相春申君がこの辺りの治水に努めたことにより、“申”と言われるようになったということだそうです。 上海はもともと漁業や塩業を中心とする小寒村でしたが、13世紀末(南宋)に上海県が設けられて以来、17世紀になると海上の交通の要衝となり、長江沿岸諸都市はもとより、遠く日本とも交易が行われていたという記録が残っており、繁栄した港町となっていました。 阿片戦争の結果結ばれた南京条約(1842年)で開港し、1845年には英国租界が、1848年には米国租界が成立し、1863年には合併されて共同租界となったとのことです。また、1849年にはフランス租界が成立し、第2次大戦中に租界が中国に返還されるまで約100年間続き、租界は外国資本の中国進出の橋頭堡として発展し、当時上海は国際的な「魔都」とも「冒険家のパラダイス」とも呼ばれていました。 上海は世界に港を開いたことにより、逆に早くから欧米の新しい文化の息吹を受入れることともなり、中国の中では非常に開放的で、どこか垢抜けしており、進取の気性に富んでいるといえます。 (4) 現在の上海は正に建設ラッシュといった感じです。街中至る所、道路、高層ビル等の建設で非常に埃っぽく、目や喉を傷めてしまいます。 上海市は80年代の沿岸都市発展戦略に伴い、市内の3か所に経済技術開発区が設けられ、これに加えて、90年には中央の認可を受けて、黄浦江の東岸(旧市街の対岸)に位置する「浦東新区」の開発がスタートしています。浦東開発の目的は、21世紀へ向けて上海市にかつての繁栄を取戻し、金融・貿易・経済面でのアジアの一大中心を目指そうとするものであり、“新上海”を建設するとも言えるプロジェク
前ページ 目次へ 次ページ
|

|